Diary

2023
2023.01.05

2023

新年あけましておめでとうございます。
昨年は、靴下の生産においてもトライアンドエラーの連続でしたが、リピートくださるお客様や、お取り扱い店の店主の方のあたたかなお言葉に日々励まされて、最後の日まで前向きな気持ちで頑張り切ることができました。本当にありがとうございました。
靴下を履いてくださるお客様の姿を想像するだけで元気が湧き、お取り扱いしてくださるお店様、製作してくださるメーカー様の存在には感謝しかありません。

今年2023年は、昨年の反省をクリアにしながら、次の一歩を踏み出す年。やるべき大枠は決まっていながらも、どのように動いていくかは決断力と実行力が必要なので、身軽な身体と直感を維持できるよう、まずは心身共に整えていきたいと思います。そして、もっともっと喜んでいただけるものがないかを探っていきたい、一期一会を大切に誠実に進んでいきたいと思います。

卯年、みなさまに良い事がたくさん降り注ぎますように。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

辺牟木ちさと

2022.01.20

2022

2022年が始まって20日。今年は私にとって長らく考えていることを実行すべき年で、気合を入れなきゃいけない年なのですが、過去の経験から「進む時は進み、進むべきではない場合は何かしら問題が生じる」なので、なる様になるさとあまり深く考えず、でも自分の殻を少し破りつつ未知のことにトライしてみようと思っています。
そして、何があっても笑ってすごせる心の余裕を持ちたい。余裕さえあれば心身の健康も保てるはず。「何とかなるさ!の2022年」にしたいなぁと思っています。

2022年の干支は「寅」。中国の漢書では草木が伸び始める状態を表し、根や茎が成長をはじめる時期とされているそうです。曲がりを直しまっすぐに伸ばす。まだまだ不安も多い世の中ですが、みなさまにとって成長ある幸多き一年になりますように。

HPのエラーで更新ができず、大変ご挨拶が遅くなってしまいましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2021.06.21

心配ごとの9割は起こらない

昨夜ふと自分の爪を見たら、なんだか横に凹んでいる部分を発見。調べてみると、過度のストレスを感じたとき、爪は一時的に爪を作る働きが弱くなるためこうした凹んだ線が出るらしい。考えれば、半月ほど前、心配事があって心落ち着かぬ日々でした。考えれば考えるほど悪い方に悪い方に考えてしまって落ち着かず。でも家では強気な母で、子供たちには何も変わらず普通を装っていたのですが・・・体って本当に正直ですね。
さらにその頃、なぜか左目に疲れを感じて(目はとても強くて長年PC作業をしていても、全く視力も落ちず不調も感じない部分なのですが)珍しく眼科に行ったのでした。(結果、ギャグかなと思うぐらい声のキーが高い先生で、ハイボイスに診断が聞こえなくて、さらに疲れ目でなくなぜか抗生物質入りの目薬出されて終わりました。)眼科はあまり解決にならなかったのですが、眼科の後、たまたま立ち寄った書店で目に留まった本がありました。
その本と見つめ合うこと一分。そして、何かを感じて、ぱらぱらっとも見ずにそのままレジに。(石橋を叩いてわたる方なので、こんなことはあまりないことです。)ベストセラーだったようですが、恥ずかしながら全く知らず、文庫化され本のようです。小さくて携帯もしやすいサイズがまたいいのです。
『心配ごとの9割は起こらない』。中には禅の教えに通ずる心の拠り所になる大事な言葉がたくさん。一通り読んで、今はカバーに包まれながらリビングに置いてますが、読まなくても再び心配事が出てきたら読めばいいと思える、その存在の大きさに驚かされます。
今思うと、目の不調は、本を見つけるためにあったのかなと思ったりして。全く違うことでも、すべては関連し合っているのかもしれませんね。「心配ごとの9割は起こらない」ようなので、大丈夫。意外にも体には心よりストレスが影響するようです。
2021.06.13

六月。この時期こんなに忙しかったかなと思うぐらい、ここ最近やることに追われています。夏のうちに、オンラインストアをリニューアルしようと動いていること、そして、新規で取り扱いを考えているモノへの準備、あと、冬に向けての発注がまだ全て終わっていないこともあって、頭がゴッチャゴチャなのです。だから今日は休日だけど、子供たちが行きたいという商業施設に全く行く気がしなくて、雨だけど近くの駅で一人降ろしてもらいカフェを探してそこで過ごそうかと考えたり…( いやいや、でも 食材の買い物しなきゃだめだ…)家事も中途半端だし夫に子どもたちを任せて家に留守番して色々片付けようかと考えたり… ( いやいや、家にいたらリフレッシュできないか…)なかなかその考えもまとまらず。あっという間に出発時間になってしまいました。
「ああ、どうしよう」と思いながら、とりあえず外出の用意をいて車に乗ってみたのですが、車窓の景色を見ているうちに商業施設近くになり(その間30分もあるのですが)もうここまで来たのならと、結局、商業施設内にあるスタバで少しの間、一人過ごさせてもらうことになりました(実はこういうことは初めてです)
朝に珈琲を飲む習慣がないので、ドリップコーヒーをオーダーするも口が慣れず、さらに集中するために一番奥の席に座ったので目の前 壁しかなく(スタバ自体も千葉の時はよく言っていたのですが、山梨は初で実に3年ぶりぐらい)席について10分くらいはなかなか気持ちが落ち着かなかったのですが、ノートに「これからするべきこと」を少しづつ書き出し、「今日すべきこと」、「明日やること」など書いているうちに、心がすっきりしてきました。やはり「見える化」ってとても大事ですね。 さらに店員さんがやさしくて、COFFEE PASSSPORTというものをいただいたりと(何も期待していなかったのに)プラスアルファの幸せまでいただきました。
家には、仕事の道具も揃っているし、このあたりは街ではなく、ぱっと一人歩いてカフェにというわけにもいかない。ただ、家の中は悪いこともないけれど、いいこともさほど起こらず平坦。人混みには行きにくい時ですが、気分がのらないときはいろいろ放ったらかしにしても、外に出ることが大事なのかもしれないなと思いました。 自分を心地よくする術を考えて、でも考えすぎずに、いつもと違う場所に自分を置いてみる!というのも手ですね。

2021.05.25

何か新たなものへ

下の息子がようやく小学生になりました!でも、一年生の男児というのはまだまだ幼くて(下の子だから余計思うのか)、本人も新しい場所になじむのに大変だろうしと出発時間も、時間割も、提出物など、明日の持ち物も全て母が主となり動いてしまい、とにかく4月は気があっち行ったりこっち行ったり(娘が小一の時はそんなこと思わなかったような、、、忘れただけかなぁ)。5月からは、学童という放課後クラブに息子を預けることになり、再び言われた新しい持ち物を買い揃え(防災ずきんはこれまで娘も合わせて何枚買いなおしているだろう)、娘の部活も大会や練習試合が続き送り迎えや観戦で、なんだかそわそわした春を迎えていました。靴下は秋冬と比べると落ち着いた時期なのですが逆に「この時期にこそすべきこと」という課題がたくさんあり、でも、一番予期せず困るのが若い頃には考えもしなかった不調というものがポツポツ日々現れ出すこと!(めまいは落ち着きましたが、今度は上腕が痛くなり、いろいろ不調が変化します)一日何も考えずゆっくりして寝れば治るのかもしれませんが、とにかくじっとしていられない性分の私。時間の余裕あれば、掃除や庭仕事などしたいことが次々出てきてしまいます。

ただ、そんな毎日でも元気にすごせている訳は・・・きっと「何か新たなものにトライすること」が出来ているからかなと思います。未来を見据えて、新たなことへチャレンジする、それがとってもとっても小さな「あたらしいもの」だったとしても、それが一週間後には「ボツになるもの」だったとしても、昨日とは違う何かにトライすることが、日々の時間を豊かなにさせてくれる。さらにその事が、誰かを喜ばせることに繋がっていると確信が持てたときワクワクさったらありません。

とにかく「今日は少し動けた」ということがひとつでもあると、今日という日に感謝できる。過ごせてよかった、と満足できる。ぼーっと休むことは出来ないけれど、体の休息は、心の充足と繋がっているのだなと思う今日この頃です。

道
2021.01.25

これっと決めなくても、たどり着く?

お風呂に浸かりながら、なぜか就職活動の頃の自分を思い出していました。採用枠が少ないのに学生の数が多い就職氷河期といわれる年で、「5業界に資料請求をせよ」と就職部から言われたまま、行きたくもない業界にも資料請求をしていた頃。ある服飾大手のメーカーでの集団面接で「あなたはなぜ我が社に就職したいのですか?」と尋ねられ、洋服メーカーに特に思い入れがあったわけでもない私は、当たり前にうまく答えられず言葉に詰まりました。(本当になぜこの場に来たのかと恥ずかしく、その時の空気を今でも鮮明に覚えています)。その後、自分が好きな食の分野の会社に進みましたが、今はどちらかというと、服飾よりの仕事をしている・・・学生の時には思いもよらなかったことで、そう考えると不思議な気持ちになります。

何かこれからの仕事を考えるとき、人は「私はこの道に進む」ときっちり決めたくなるけれど、その一番最後を決めなくても小さなことでも一番身近な「したいこと」に向かって進んでいけば、自ずと無事自分の道に進んでいくのでは?! 今の時代、人は日々の情報量が多すぎて、そこで見たもの、聞いたもので日々思考がどんどん変わっていくから、1分前の自分はすでに過去。若い時から「将来の夢は◯◯です」って、その道でずっと進んでいけたら達成するスピードもはやくて一番ですが、もし今決められなくても焦らなくていいのだと(若い頃の自分に伝えたくなる)思います。日々の目標を定めて、今年したいことを明確に一生懸命生きていれば、自ずと自分の未来は狭まってそこで固まる。それがもしかしたら、自分の進むべき道なのかもと未だまだ発展途上の私を見て思うのでした。

2021.01.19

cookie

今まで嫌いだったのに、あることがきっかけで突然好きになることってあるのですね。
年末、私の持つ2つの概念?が急に変わりました(自分でもびっくり)。 その一つが「クッキー」。

実は私、昔からクッキーが苦手。なぜか、それはモゴモゴして口中の水分を奪い、歯に詰まる感じがするからで、水分があるチーズケーキが大好きです。(これは余談ですが)でも昨年末、スタッフが買ってきてくれたクッキーを食べた瞬間、急に私の中のクッキー概念に変化が!!
「クッキーってこんなに美味しんだ!」と、初めて思ったのです。このことは私にはすごく衝撃的なこと(何せ、この歳になるまでほぼ手に取ってこなかったし作りもしなかったので)無視同然だった可哀想なクッキーの存在にムクムクっと興味が湧いてきました。

そしてそれと別に、ずっと考えていることがあり、、、それはグリュックントグーテのonline storeでお買い物してくださるお客様のことなのですが、ご購入くださる方が不思議と本当に良い方ばかりで(可能ならばお一人お一人と対談したいぐらい)、さらにはリピートくださる方も多く、いつもご注文くださるとき、何か気持ちとなるものを同封できないかなとずーっと考えていました。ただ、大きいとネコポスなどサイズに限界がある場合入らなくなるし、小さくて軽いもの。そして、何よりも同封されていたら喜ばれるもの・・・うーん、何だろうって思っていました。

それが年末、クッキーへの想いが急に変わったことで、この2つが頭の中でガチッとタッグを組んだのです。今考えているのは、クッキーは販売用ではなく、喜んでいただきたいという想いだけの+1(プラスワン)クッキーであるということ。「思い立ったら吉日」ということで、年始から週末。クッキーの試作をしています。理想の味はあるのですが、元クッキー嫌いの私なので「美味しい!」と思えるものはちょっとやそっとでは作れないはず。まずは100回試作して、そこから何か見えたら、何をどうするか決めようと思っています。(長らく時間がかかりそうです)忘れた頃にできるかもですが・・・2021年は柔軟に、いろいろなことにチャレンジしていこうと思います。

お家時間が増えて、お菓子作りされている方も多いかな思います。何作ろうかなから始まり、ちょっとしたのクラブ活動のようですよね。息子が興味津々で参加してくるので、自分のペースをまんまと崩されますが、どうにかこうにか、まずは100回続けてみようと思います。

2021.01.05

新年あけましておめでとうございます。
今日も晴れて明るい空が広がっています。

世の中は「風の時代」に入ったそうですね!(今朝はじめて聞いたのですが)いろんな時代を生き抜くということは、変化に柔軟になることなんだろうなぁと思います。私は幼い時から父が転勤族だったため、その地に馴染んだかなと思ったら、次の場所と移動を余儀なくされて育ちました。なので小学校は1回、中学校は2回、その後も引越しは続き、生まれてからこれまで13回ぐらい引越したような…。どこが生まれ育った地なのかがはっきりせず、出身地も幼なじみという存在もなく寂しいときもありましたが、今となっては今後を生き抜くための勉強をさせられていたのかなと最近つくづく思います。ただ、どんな時代も一定ということはなく、山あり谷ありの日々、これからもあまり世の中の動きに捉われず、自分らしく思い悩まずに(ストレスが一番だめですね)進んでいけばいいのかなと思います。そして、「悪いことも良いことも全てに意味がある」と捉えて、悪いことがあっても落ち込まなず、考えすぎず、前を向いて上を向いて一歩一歩進んでいけたらと思っています。

グリュックントグーテとしては、一人で始めて未完成の部分がまだまだたくさんあるので、働いてくれるスタッフも楽しくなるような場所にしていきたい、今後に向けて体制を整えつつ、もっと心地よく履いていただけるもの、喜んでいただけるもの、楽しんでいただけるもの、笑顔になっていただけるものをつくるために努力していこうと思っています。実際に「できました!」ってお伝えできることを夢見て。

空に広がる羽ばたく鳥のような雲。どこでも自由に思うがまま生きれる世界が早く戻ってきますように。マスクを外して皆で食事を囲める穏やかな日が早くきますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2020.12.30

2020

今年も1年ありがとうございました。
2020年、初日の出を見に早朝に起きて出かけてから一年。オリンピックイヤーでどんな輝かしい一年になるのかなと思っていたらこんな大変な年になるなんて!一時はどうしたらいいのか、不安と恐怖でいっぱいになりましたが、未来が見えないのならば、今この時をとにかく一生懸命過ごそうと思った一年でした。特に靴下は秋冬がシーズンなので、「自分が倒れたら終わり」という意識が強く働いて、休みなしのスケジュールを見ながら、9月からはなお一層子供たちの体調管理と自身の体調管理を意識するようになりました。まずは夜の残業を減らし23時には寝るように、そしてその分朝早く目覚めて、保育園の往復で毎日30分歩くことを意識。それは、オンラインヨガをしていたにもかかわらず、オーバーワーク気味だったのが原因か9月に急に腰に激痛が走り「このままではダメ、生活習慣を改めよ」との体から大きな宣告があったことが大きく影響しています。

でも、後になって考えると、良い事ばかりの人生より辛い経験がある人生の方が、人は成長するきっかけを与えられて、自然と壁を超えられるのかもしれませんよね。悪いことに目を向ければ辛すぎますが、悪いことあれば同じぐらい良いこともあるはずで、谷があれば山がある、雨が降るからこそ虹が出る(おっと止まらない)。ただ気を張り続け緊張状態で過ごしすぎて、時に疲労困憊で栄養剤を飲む時もしばしばありましたが、ご愛用くださるみなさまからの嬉しいお声や、やさしいお言葉で、日々たくさんの勇気をいただき12月まで元気に過ごすことができました。
onlineでお選びくださるお客様の存在、企画展に足を運んでくださるお客様の存在、大切に靴下をお取り扱いしてくださるお店、店主の皆さまの存在、そして製作してくださる工場の方の存在、すべての方の存在があったからこそ乗り来られたと思います。深く感謝しています。

今年もご愛用いただき本当にありがとうございました。すでに今年の反省も含め、来年に向けて課題山積みですが、もっともっと喜んでいただけるものがご提案できるよう気を引き締めて頑張りたいと思います。

寒くなりますのでお身体に気をつけて、楽しく穏やかな年末年始をお過ごしくださいませ。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

グリュックントグーテ 辺牟木ちさと

2020.09.11

腰に魔女がやってきた

思いがけないことに、この5日間「ぎっくり腰」で辛い日々を送っていました。とにかく寝ても起きても座っても周期的に耐えがたい激痛(電気のようなピリピリした痛み)が体を襲って、就寝するも体が痛すぎて寝返りがうてず、毎晩 朝まで同じ体勢で石のように固まって寝ていました。目覚ましがなっても止められないし、朝起きるのもまた一苦労。何かに捕まり腕の力だけで体を持ち上げて立ち上がる、それだけに20分もかかりました。
「ぎっくり腰」になる1分前まで、いつもの変わらぬ元気な自分。私の場合、グキッとしたわけでなく、座っていたら腰に違和感がじわじわ広がり、なんだろうと思っていたらだんだん激痛に変化していったのです。ドイツなどでは、ぎっくり腰は魔女の仕業として、「魔女の一撃」といわれるらしいのですが、本当にそのとおり、私は「自分の腰に魔女がきたのだ」と思えてなりませんでした。とはいえ、シーズンの準備で忙しい時期、寝てるわけにもいかず(まず寝るのが辛い)一日でも早く治したくて整形外科や近くの整骨院にも行ったのですが余計痛くなるばかり。ここ数日は仕方なく飲みたくもない痛み止めを飲んでしのいでいました。そんな中、ホメオパシーが効くかもしれないと、先日買った本を出してきて、長くホメオパシーをしているスタッフに適合しているレメディを教えてもらいながら実践! 腰など大きな関節の痛みにきくもの、3種を10分おきで飲むなど、自ら実験台になったことで本を読むだけとは違い、その考え方や使い方が少し理解できたように思います。
そして今日家の階段を上っていたら足がとても重いことに気づき、痛くて触れることもできなかったふくらはぎに手をやると、ありえないほど張ってコチコチに固まっていることに気づきました。このままではぎっくり腰どころか、別の病気になってしまう。仕事の合間、腰に負担がいかないようにゆっくりふくらはぎをほぐしていたら、夕方、魔女が急に去りました。あの激痛が嘘のように急になくなりました。
それにしても原因は何なのか・・・
整体の先生は、長いデスクワークもあるけれど、オンラインヨガで自分で股間節を強く伸ばしすぎたこともあるかもと。同じ姿勢を続けている、ちょっとした癖などで、腰に負担がいくようです。体の小さなサインに気づいて私と同じようにならないように、みなさまどうかお気をつけくださいね。
自分の体と向き合う
2020.07.27

自分の体と向き合う

人それぞれのルーティン。みなさんはどんなルーティンをお持ちですか。私の場合、自宅で仕事をしているので、スタッフがきてくれている夕方まで仕事場にいて、その後、珈琲を淹れて一息ついた後、外の空気を吸うべく庭に出て畑の土を耕したり、雑草を抜いたり、座り仕事で固まった体をほぐして(仕事と家事へのリセット)そこから夕食づくり、お風呂、息子の寝かしつけと進むのですが、6月半ばから長い雨の季節に入り、庭に出ることが難しくなってしまいました。

ならば 庭に出ていた時間を何の時間にあてようか。考えて、真っ先に頭に浮かんだのが「ヨガ」でした。

毎朝8時、決まって近所にある会社のラジオ体操が始まります。離れているので音楽などは聞こえないのですが、社員の方が全員外に出て体操する姿は間違いなくラジオ体操。私も合わせて、体操に加わってみたところ、あれ、前屈がここまでしか曲がらないなどなど自分の体が硬くなっていることを発見。朝って夜より体は凝り固まっているのでしょうか?時折あった不調めいたものは、実はこの体の硬さに関係するのでは!とピンと来てこのままにしていたら将来大変、これはやばい!と思っていたのです。「思い立ったが吉日」ということで、早速ネットでヨガマットを購入。マットが届くや否や、オンラインヨガを検索し、イヤホンを耳にして、目に留まった先生のヨガレッスンを早速はじめてみました。まずは習慣化する3週間が目標です。

学生時代、柔軟だけは比較的得意な意識があったのですが、実際やってみると思ったように曲がらず、とにかく股関節まわりがとても硬い。出産後、きちんと体をケアしなかったからかなぁとか思いあたる節はたくさんありますがとにかくすればするほどマイナスの発見がたくさん。でもこのカチコチ体を認識したことが逆に自分の心に火をつけました。「こうなったら絶対体を柔らかくするぞ」と 半分意地になる感覚で庭に出ていた時間帯の1時間弱もの間、自分の体と向き合いはじめました。ヨガをされている方は沢山いらっしゃると思うので、わかっていただけると思うのですが体ってすれば答えてくれるのですね。昨日できなかったことが、今日少し楽になっていたりましになっていたりする。そしてヨガをしている間、当たり前に無言ですが
自分の体とは随時会話しているのです。少し無理をするので、毎日筋肉痛ですが、徐々に軽くなって、身体というのは頑張ればついてきてくれるものなのだと実感。手が床につかなかった前屈も1ヶ月すれば、手のひらが少しつくようになってきました。

高校生のころ『医食同源』が座右の銘だった私は、朝昼晩たべたものを毎晩自作の「食事日記」につけて、今日1日 何の栄養素が足りないかをチェックしていました。それがきっかけで高校時代は特に栄養にとても興味があったので今でもそれが癖になっている?というか、気を配って食べてしまいます。そして仕事柄、足(体)を冷やさないことも習慣化しています。

でも今回ヨガを通して、健康でいるためにはどれだけ食事に気をつけても体を冷やさないよう注意してても、だめなのだと痛感しました。やっぱり一番重要なのは「血流」なのだと。そう、動かなければ全身に血が巡らない。血流を促し、全身に行き渡らせることが大事なのだと今ヨガを通して感じています。どんなに食事に気を配っていても血が滞ると、疲労とともに悪いものがたまって不調を起こす。逆に全身にうまく血を巡らせると、体は調子を取り戻すようになっているのではないかと思います。

目標は高く(高すぎますが)180度開脚!まさに今、股関節を広げている最中です。娘が小学生のとき新体操を習っていたので180度開脚の練習も一緒にしていたのですがその時は自分がしたいという思いは全くなく、今になってトライしたくなるなんて、未来は思いもつかないことが起きるものですね。やるならもっと早く30代から初めていれば今違ったのになぁ、とも思いますが私にとって機が熟したのは今だから、今じゃなきゃだめだったのかも、とも思います。将来に向けての身体づくりは自分との戦い。無理せず少しずつ がんばりたいと思います。

2020.06.24

土日の時間の使い方

平日と土日祝日の大きな違いは、朝、目覚ましをかけて起きなくていいことと、子供たちが1日いることの二つ。ただ、朝が大好きな息子は私を寝かせてはくれず、早朝 目がぱちっと覚めた途端から、私が熟睡していようとガンガン話しかけてくるので、朝寝を楽しむということはできず、結局平日と同じ時間に起きて、同じような朝の時間を過ごします。

仕事に関してもそうで、ご注文をいただけることが嬉しいのと、ご注文をくださる方がずっと待ってくださっている気がして、すぐに発送したくなるためグリュックントグーテがスタートしてからこれまでずっと、出張や帰省等で長期 家を空ける時以外は土日であろうと祝日であろうとPCに向かい発送作業をしています。

平日は配送を手伝ってくれているスタッフにすこしずつお任せするようにしているのですが、土日はお休みなので、その時にきたご注文は私の担当。

なので、子供たちが休みでも、私は家事の合間にPCに向かい仕事場にいることが多く、外出する際も、発送の時間を常に気にして動いたり、仕事と日常が一体化しています。子供たちは私のそんな行動も理解してくれているので問題ないのですが、土日は買い出しもあって忙しく、配送に集中しているつもりでも、母業が時折入ってくるので、とうとうこの間ミスをしてしまいました。

その時に、やはり日常と仕事は分けるべきなのかもしれない、土日は家族との時間を楽しんだり、いろいろ吸収したり振り返ったりすることに時間を費やすべきなのかも、、との考えが急に現れてきました。

グリュックントグーテのお客様は、本当に良い方ばかりなので、私が焦ってるだけで、もしかしたらお客様は待ってくださるのかもしれない。実際、家の中は衣替えが曖昧だったり、優先順位が低い片付けがなかなか進んでいなかったり丁寧な暮らしができているとはいえず、、、でもそれは仕方がないことだと思っていました。

でも、心の奥底では、土日は朝食をフレッシュジュースにしてみたり、いつもと違うスタイルを楽しめたらなんて素敵だろうと思っていたりする。実際はそんなに器用に動けなくて、いつもと同じ具沢山お味噌汁と玄米ご飯になってしまっているのですが。

ただ、そう考えだすと、目を伏せている部分や諦めている部分が結構あることに気づき、一人でお風呂に浸かりながら「やはりこのままでは進化できないのかもしれない、変えないかなきゃいけないのかも」なんて、これまで長年考えもしなかったことがいろいろ出てきて、ここのところ、自分の心の声と向き合っていました。
でも土日祝お休みにすることについて思い切れないのがお客様に不都合なのではないかということ。どうしたらいいのか、、、そして、ようやく結論が出ました。

勝手ながら7月からオンラインストアの発送は平日のみにさせていただきますが(ここ大事で)お急ぎの時は、構わずお知らせください。誕生日やお祝いなどで、早く出して欲しいというときは、土日祝日でも発送いたします。なので、どうしてもという時は、遠慮なさらずに備考欄にお知らせいただきたいのです。

長年ずっと、このスタイルでやってきたので、ご注文がきたら「すぐ返信したい、お送りしたい」と思ってしまいそうですが、これから よりきちんとした仕事をするために、7月から少し変えてみようと思います。土日祝日の子供がいる日は、仕事から頭を少し離してみようと思います。ルーテインを少し変えてみると、そこから見えることがきっとあるはず。そしてそれがまわりまわってグリュックントグーテがいい方向に進むような気がするのです。

とはいえ、ご不便をお掛けすることになるかもしれませんが、どうかご理解いただけたら幸いです。理想とする丁寧な暮らしに向かって私も第一歩目、進んでみようと思います。

足を動かす"
2020.05.25

足を動かす

好調だった「スクワット」ですが(前回のdiary)1週間目ぐらいから時々、膝が痛くなり(悲しくなります)膝に負担がいってはいけないので、痛みを感じるときはスクワットをせず他の体操に切り替えることにしました。それは何かというと、朝起きた時と布団を敷く時の1日2回の軽い運動と寝る前のふくらはぎマッサージ。

1日2回の軽い運動とは、下を向き両手両足を地面につけた状態で、片方の足を伸ばして上にあげること10回。それを左右入れ替えて。その後に片足ずつ、足首回しを横、上、後ろにおいて各10回。そして最後にヨガのポーズ(太陽礼拝)して終了。

そして寝る前のふくらはぎマッサージは、寝ている姿勢で、片方のふくらはぎを片方の膝にのせて足をゆするというもの。とくに力をいれなくても重力が働いてふくらはぎに膝部分が食い込むので痛気持ちよく、むくんだふくらはぎが自動的にマッサージさせてとにかく効くのです。それが終わったら、4本の手足をぐっと真上にあげてそのままぶらぶらぶらっとする。(幼い頃、母が毎日これをしていて「ごきぶり体操」と言っていました(他に言い方はないのかですが)その後、手を伸ばし上にあげた足の足首から膝裏までをさすり、立っている状況と逆の動き、血流を逆流させる。そして足が軽くなったら終了→就寝。(仕事後のかんかんとした頭が 幾分停止するからか、寝つきも少しよくなります)

この2つのことを毎日続けているとめまいがなくなったどころか、「ふくらはぎ」から少しずつむくみが消えて、うれしいことに少し足が細くなってきたような。ふくらはぎに不必要な水分がかなり溜まっていたようです。

調べると、人間は重力の関係で血液の約70%が下半身にあるとのこと!何もしなければ血流が足で滞ってしまい、私のように貧血、めまい、それ以外にもいろんな病気の原因になってしまうのかもしれません。血をつくる食べ物など栄養も大事ですが食べ物だけ気をつけていてもダメなんだということに気づかされました。

そう、大事なのは血流。歩いたり、体をささえている足。足はそれだけで十分機能を持っているように感じますが、実は足の内部にポンプというさらに大きな役割がある。stay homeで家時間が増えて、外出することが減るとどうしても歩く機会が減ります。田舎にきたら散歩するだろうと思っていましたが、思いの外 車社会で、千葉にいたころより歩く機会がないので身体がめまいを使って知らせてくれたのかなと思います。

足を動かせば、足も細くなるし健康になれるし嬉しいことばかり。意識することって大事ですね。畑のような庭となってしまいましたが、外の空気を吸いに、夕方、石拾いしたり水撒きしたり土を耕すのも毎日ずっと続けています。とうもろこしや人参の芽も出てきました!(人参の芽は雑草にまぎれてしまい摘み取らないよう注意しなければですが)

今を生きているのなら、とにかく毎日元気でいなければ。元気でなければ楽しくない!って思うのです。

photo/
娘の中学の制服。冬服は入学式だけであっという間に衣替え。
夏服を買いに呉服店に行くと、年長の息子に緑の電車をいただきました。
なんともレトロでかわいい電車。ありがとうございます。

何もしなければゼロ
2019.12.15

何もしなければゼロ

今日から小学校は冬休み。ここのところ、中学受験するという娘と、世界や日本が取り巻く問題を図書館で借りてきたり環境問題などのニュースを見て話したりすることが多くなりました。二酸化炭素の排出が増え続け温室ガスから温暖化が進めば、異常気象や今年のような大きな台風が来る。未来は大丈夫なのか、考えるととても恐ろしくなります。娘の今の夢は、国を超え世界の人たちとそうした問題を解決すること。なので、彼女は今、英語の勉強に力を注いでいます。(できれば今は受験科目を勉強すべきだと思うのだけど苦手な算数は、今のままで大丈夫なのかー?)
野草茶に巻いている帯は、環境循環型の「やまなし森の紙」を使用しています。温暖化の原因であるCO2を吸収し、元気な地球を取り戻してくれる大切な森林を守るという考えから山梨県の森林から間伐、伐採されたチップから作られた紙。使うことで、県有林を守り、収益金の一部が山梨県緑化推進機構寄付され、森林の再生や水源の森を守るために役立てられます。靴下の帯も少しずつこの紙に変えていかなければ。「地球を救う仕事の本」の一文。「ひとりの力は小さいけれど、何もしなければゼロだ」
微力すぎるけれど、何か少しだけでも動こうと思います。

うまくいかない訳
2019.09.10

うまくいかない訳

これまでずっと一人体制でやってきたし何とかなると思っていました。でも、これからがシーズン。仕事量が増えることを考えるとやはり限界を感じてしまいます。一人だと報・連・相がない分、処理スピードも早く気楽な部分もありますが、自分しか把握していないことの多さに気が抜けないのも事実。まだ幼い子がいる私は、子供達の日々の体調管理も仕事のうち。体調を崩せば、たちまち色んなことがストップするので、食事や栄養、睡眠の他、習い事、行事までもが頭に入ってきて、仕事とともに「しなければ」の項目として積み重なってきます。こうなると、楽しいはずの仕事がだんだん義務的になってくる。ダメダメ、それではダメ!ということで夫婦話し合い、募集をかけてみることにしました。
でも、待てど待てど来ない。おかしいな。よくよく考えれば、人口密度が低いこの場所にまず仕事にきてくれる人がいるのだろうか。さらにグリュクントグーテを知ってくださる方が何人いるのだろうか。とっても考えが甘かったのです。期待していたものがうまくいかないと、何でだろうと落ち込みますが、もしかしたら、うまくいってはいけない訳があるのかも…実は8月にこんなことがあったのです。

ショールームをオープンする前の日のことです。テーブルがなかなか決まらず、ようやくぎりぎり決めたテーブルが前日に届く予定になっていました…が、お盆中ということで業者の方が取り扱ってもらえず、急遽、配送できないという連絡が入りました。明日からオープンするというのに、お茶を飲むテーブルが1つしかない。ありえない出来事でした。仕方なく、結婚当時からずっと食卓として使っていたテーブルを下の階からあげてショールームに入れることにしました。昔イギリスの図書館で使われていたというテーブルはとても頑丈で山梨にきてからは、ダイニングテーブルではなく、下の部屋でルームシューズの作業台に使っていたのです。作業台なので、テーブルの端っこにテーブルの幅ぐらいある道具棚を置いていました。
ショールームにあげるべく棚をよけると、棚の下が埃とともに湿っぽく、木が変色しかけていることに気づきました。それを見た瞬間、突然新しいテーブルがやってこなくなった理由がわかった気がしました。長年使っていたテーブルが、山梨にきた途端そっぽを向いた主人に対して、このままでは僕はダメになってしまうと、テーブル自体が働きかけたのではないか、生きているわけではないけれど、なんだかテーブルの仕業に思えてならない不思議な出来事でした。
案の定、ショールームにあげて、マルセイユ石鹸できれいに擦りオイルを塗るとテーブルは見違えるように美しく、スペースにマッチしました。カフェにきてくださったお客様のほとんどが、そのテーブル席に座りました。そのことがあってから、すんなり行かない時は、何かが後ろで働きかけている場合がある、と思うようになりました。いいように考えると、今 人がなかなか決まらない理由も何かあるのかもしれません。
よく考えると「なぜうまくいかないのだろう」と思っているのは自分の心だけ。反対に考えると、実はうまくいっているのかもしれない。物は考えようだなと思います。とはいえ、刻々と時間が過ぎていくので心配になりますが、やるべき努力はして、良い方との出会いを楽しみにしながら、今すべきことを片付けていこうと思います。

photo/
庭に黒玉スイカが転がっていました。収穫時期遅く、お手入れもきちんとしてあげれなかったけれど、
見事にまん丸に成長してくれたことが愛おしく感じます。

移る
2018.12.30

移る

あと一日で今年が終わろうとしています。今年の大きな出来事はやはり「移住」ですがそれにまつわる出会いや、新たなご縁にも恵まれて今年はいつもの年とは違う忘れられない一年になりました。前半は千葉、後半は山梨。移り変わりによって心も暮らしもすべてが変わりました。真夏の引っ越しのあと、子どもたちの転入、転園をすませ、書類関係も落ち着いたころ、靴下のシーズンに。

例年と同様、「忙」の一文字につきますが、私が企画したものが、たくさんの方のお役にたっていると思うだけで疲れが吹っ飛び、焦っても、眠くても頑張ることができました。そして同時に一人の限界を知る年にもなりました。ご迷惑になる前に体制を整えなければならないと思っています。
グリュックントグーテをこうして続けていけるのも周りのみなさまの支えがあってこそ。今年も一年 本当にありがとうございました。
来る年もみなさまにとって素晴らしき年になりますように。良いお年をお迎えくださいませ。

今が花
2018.10.10

今が花

10月は息子の誕生月。小さな彼をつれて、買い物や散歩、ゴミ捨てなど一緒に外で歩いているとご近所の年配の方からよく声をかけられ、「かわいいこの頃が花よ」とか「今が一番いいときよ」とよく言われます。

娘が小さな頃にも言われような…でもその度に「なぜ今が花なの?」と思っていました。この年頃の子供を持つお母さんは皆そうなのだと思うのですが食事時は気忙しく、母親は立ったり座ったりゆっくり食べることができないし抵抗力が未熟なため病気をよくもらってくるし、好奇心旺盛で何をするかわからず目が離せないし、とにかく ほっとする時間がなかなか持てないので、「花の時期」という言葉がすんなりはまらないのです。でもようやく、その言葉の本当の意味がわかってきたような気がしています。小さい頃はママの存在が第一。保育園のお迎え時も、顔が会えば「ママーー!」と走って笑顔で出迎えてくれる。それが当たり前のように感じていましたが、それは今だけなのですよね。母親の存在というのは、(男の子は特にかもしれませんが)大きくなるにつれ変化するもの。

もうすぐ4歳になる息子。まだまだ赤ちゃんっぽいところも多いのですが、ここのところ、私の言っている言葉だけでなく、その前後にあるニュアンスまで理解していたり一人で階段を下りてトイレに行けたり、絵も上手になったりと急にできることが多くなってきました。その瞬間、とても嬉しくて「すごいじゃない!」と褒めて喜ぶのですが、よく考えれば、小学生高学年にでもなれば、なんでも一人でできて、ご飯さえあればママの存在がなくても日々過ごせるようになる。しまいには外出が増えて、出ていくのだろうなと思うと(夜寝かしつけたあとなどに )ふと切なくなります。でもそれは自然界のどの動物もすべて通る道。ひなが巣立って羽ばたいていくように親の役割は、子供がしっかり独り立ちできるように手助けすること。『小さい頃が花』
どんなに手がかかっても、自分の時間がなくても、身長が1メートルにも届かないかわいい小人とこんなに一緒にいれて、トンチンカンな面白い会話を聞けるのは、今しかない。

それに、子育て、家事、仕事と時間のない焦りから余裕がなくなりきちんと子供と向き合えなかったり、必要以上に強く言って悲しませてしまったり人間としての未熟さが浮き彫りとなって現れるのも、決まって子供との時間の中にあるような気がします。そういう意味で「己」育てができるのも、今こうして子育てに真正面から向き合える『人生の花の時期』なのかなしれないなと思います。
娘が小さな時はいろんな面で未熟だった私。2回目の育児で、ようやくこの言葉が理解できた気がします。早く大きくなってほしいけれど小さくてかわいいままでいてほしいという、どこのお母さんもが通る感情を今、感じています。
3才から4才へ。見た目にあまり変わらないけれど、心の大きな成長に戸惑うばかりの今日この頃です。

My way
2018.08.03

my way

外は猛暑。空調なしでは過ごせない今日この頃。とうとう引っ越しの日が迫ってきて、やるべきことの多さから家にいても落ち着かず、ただ何かに追われるように用事を済ます毎日。 夕食後、ふと懐かしいメロディが浮かんだ。なぜ浮かんだのか、それさえわからないけれどやさしい旋律にしばし癒される。「いま_ 船出が_近づく_ この時に_」

そう、学生時代に歌ったあの曲、マイウェイ。子供に伝えてみたものの反応なく仕方なく一人、口ずさんでみる。曖昧ながら歌ってみて、最後の歌詩にはっとする。「信じたこの道を私は行くだけ_全ては心の決めたままに_」 そうだ、そうだった。もう私は走り出している。行くだけだ… それにしても、ここ何年も歌っていない曲が急に出てくるなんて潜在意識の仕業だろうか。

人それぞれの人生。がむしゃらに進めば花開くとも限らないし挑戦すればするほど、失敗の可能性だって増えるけど   今、私はこの道を選んだ。
この街から離れる寂しさを切り離すようにただ信じて、前を向いて進んでみよう。
明日からの自分がほんのわずかでも良くなるように願いを込めながら。

転換期
2018.05.02

move on

なかなかお伝えできずにいましたが、この夏5年ほど住んだ千葉を離れ、山梨に行くことになりました。人生、時に思ってもみない方向に行くものですね。我が家は関西に両家の実家があり、年に一度帰省するのですが、下の息子が生まれてからは 無理ないよう長距離の中間地点で一泊するのが常。
その中間地点が「山梨」だったというのが、そもそもの発端。そこに「自然の中で子どもを育てたい」という私個人的考えが重なって、急に” 移住 ”という二文字が生まれたのです。ビニルハウスや田んぼの畦道、れんげ畑は、子ども心に楽しくて、山並みが見える風景が大好きでした。自然は厳しさもありますが、豊かさもある。山々の見える風景で育てたい、前々からそんな思いを持っていました。

さらにもうひとつの理由が そう、この団地住まい。グリュックントグーテと息子が立て続けに誕生し、年を追うごとに家は手狭となり、娘の部屋は倉庫同然、リビングのテーブルで 娘は宿題を、家族は食事を、私は仕事をする始末。長女が高学年になり、さすがにこの状況を続けるのは厳しいと感じていました。

私たち夫婦のこれまでの人生は、紆余曲折し、何に向かっているのかいつも手探り状態でした。時に若さゆえに無理やり方向転換しようとして何度挫折したことか。でも、そうした日々でたどり着いた法則(めいたもの)があります。
それは 進みたいという道を決めたとき、努力しても思うように進まない場合や長い年月がかかっても先の道が見えないとき、その道は自分が行くべき道でない。逆に、少し働きがけで、まわりから導かれてどんどん進むとき、それこそが行くべき道なのだ というもの。

今回の山梨行きは、紛れもなく後者。機が熟したこともあってか、その導きの力が凄まじい。あっという間に設計図ができ、着工がスタート。靴下の繁忙期と重なって、家のことを考える時間を持てなかったのですがそれでも先に先にどんどん進んでいくのです。「このスピードは何?」だから今回山梨に行くということに疑問を持つどころかここに行くべきという断定に近いものを感じています。とはいえ、幼い子ども二人を引き連れて、土地勘のない寒冷地に住む、この人生の大きな分岐点に心配事は尽きませんが、とにかく今は、前だけを見て進もうと思っています。

だって人生一度きり。とにかく動かねば進まない。
そう、それだけです。

言葉の力
2018.03.23

言葉の力

季節は春。心も身体も暖かな空気になごむ季節というのに数日前から身体の調子がすぐれない。
風邪の症状など全くなく、ただただ気持ちが悪いだけなのですが、吐き気がして、いつもおいしいと思うものが美味しく感じられず、大好きな癒しの珈琲さえも、喉をとおりません。いったいどうした?何か良くないもの食べたかな?と自分の身体に問いかけても、全く答えは出ず。
もしかしたら自分はタフだと思っていたけれど時間に追われる日々は、思ったより身体に負担だったのかもしれません。

「もっと優雅に、もっとゆとりをもった毎日を過ごしたい」そう願いながらも叶わないのは、きっと「する」と現在形で言わないからでしょうか?
これからは「いつも余裕があって嬉しい!」でいこうと思います 笑
そう、言葉の力は絶大。今回も「私は健康」「元気元気!」と呪文のように鏡の前で唱えてこの不調時期を乗り越えなければ。
そう私は元気なのだから。

大寒波
2018.01.28

大寒波到来

40数年ぶりの大寒波がきているようです。衣を重ねるように、足元もウール素材で重ね履きして、冷えから身を守るのはもちろんですが、陽の食材や自然の食品で、体の内側から働きかけることもとても大切。
我が家では、梅エキス、梅醤番茶、焼きみかん、生姜葛入り味噌汁、マヌカハニー、そしてマヌカハニーの鼻うがいを冬の習慣として取り入れています。ただ、何をしても心が満たされず、そわそわした感情があるのはなぜでしょう…
もしかしたら寒さばかりに目がいって「冬を楽しむ」ということを忘れているからかもしれません。
一週間後は立春。雪の景色を楽しんだり、あたたかな飲み物でゆったり心をほぐしたり、発想を上手に転換して「プラス」にことを考えなければ!ですね。
冷たい空気なんてなんのその! しっかり防寒して、冬をもっともっと楽しもうと思います。

diary「start」
2018.01.11

start

新たな年となり、ゆったり進もうと思いながらも完売してしまった靴下の追加や、春夏靴下の製作に、色見本帳とにらめっこの日々。でも今年は、心の持ちようを大切にしたい。忙しくても、それをどうとらえるかは自分次第。そう、心が浮くも沈むも自分の心次第。

解釈の仕方は人それぞれ様々。思いがけない事態になった時、「ああ、よかった、これ以上大きなことにならなくて」と思うか「なんで、こうなってしまったのか」と嘆くかどちらか一つ。今年の目標は前者。そのために自分、他人関係なくまずはそのことを「許す」ことから始めたい。まだ新たな一年は始まったばかり。新しい自分に会えるように、無理なく進みながら無理して進む。
みなさまにとっても素晴らしい一年になりますように。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

2017感謝
2017.12.31

感謝

秋口から飛ぶような速さで密度の濃い日々が過ぎ去り、そのスピードに振り返ることすらできず、ただただ目の前にあるハードルを飛び越えてきました。子供たちが元気でなければ、仕事もストップするので家の食事や健康管理にも気を配る毎日。
なかなか心が休まる時を持てなかった私が、こうして無事今年最後の日を迎えられたのは、履いてくださるお客様と、商品を置いてくださるお店の方のやさしさを常に感じることができたからだと思っています。
たくさんの方の支えのなか、走り抜けた2017年。今年一年、本当にありがとうございました。
みなさまにとって来年も素晴らしい年になりますように。

自分と比べるのだ
2017.09.23

my own pace

相変わらず一人で仕事をしていますが、最近、ご購入くださるお客様のあたたかいメッセージや靴下を置いて下さっているお店の方とのやりとり、レッグウェアを製造くださる技術者の方に恵まれて、チームのような あたたかさに触れることが多くなってきました。でも、雑誌やSNSで活躍されている方を見て自分に自信をなくし、自分という人間がとてもちっぽけに感じて落ち込む日もあります。「人は人、自分は自分」置かれている環境も内容も違うので比べること自体が間違っていると分かっているのですが…。

そう、比較をしなければならないのは他人ではなく、自分自身。昨年の自分より、今の自分が成長できているか、昨年よりいいものを作りだせているか、そして、昨年よりお客様が満足されているか、なのだと思います。秋分の日を迎え、これから秋冬本番。まずは、考えの軸を正し、心を込めて、ひとつひとつの作業を丁寧にこなす。そして、今の環境で私ができる最大限のことをする。
今日の自分より明日の自分、スピードは遅くとも一歩一歩、上を向いて進むべき道を歩んでいきたいと思っています。この秋冬もどうぞよろしくお願い致します。

考える夏
2017.07.25

考える 考える

暑いこの時期は、靴下がなくても過ごせる日も多く、裸足で過ごされる方も多いと思います。だから今靴下の動きは、とてもゆるやか。でもこの夏が終われば、秋冬がくるわけで、そう思うと、恐ろしくてぼーとしてはいられない。子どもの夏休みの相手をしながら、未だ諦めきれないスニーカーインの五本指と戦い、秋冬の企画、そしてこれまでの改善や見直しをしていると、あっという間に一日が過ぎていきます。夏は帽子屋でもしようかな…なんて冗談を言っていたのですが。
秋冬に向けて大切な準備期間である夏休みは、意外にもそわそわの毎日です。

simple is best
2017.06.13

simple is best

自然によって育まれた唯一無二のものが、人にとって一番のエネルギーになる。これまでも当然のように思っていたことですが最近とくにそう感じるようになりました。
先日、娘がひとりでお菓子を買ってきました。自然のおやつを食べさせたいけれど、市販のおやつを食べたいというので、娘に「裏に何が入っているか書いているから、そこに注意して好きなおやつを買ってきてごらん」と伝えてみたのです。娘は注意深く見て、おいしそうなお菓子を数個買ってきましたがその大半は、何かよく分からないモノで出来ていました。
人間が鮮度を維持する為にきれいに見せるために作った添加物は、流通にのせるためには必要不可欠なのかもしれません。でも、お菓子は、子どもが食べる想定で作られたもののはず。国が認めているということは、食べても毒性はないのかもしれないけれど、食べ続けたとき、人の身体の中は心はどうなってしまうのだろうって不安になるのです。子どもは、小さな細胞を幾度も幾度も分裂させて大きくなるというのに…。
大人は今、正しい情報を探り得て、子どもの分まで学ばなければならないと思います。社会の常識を鵜呑みするのではなく、正しいかどうかを自分で調べて考える。添加物は、企業が商品を流通にのせるためだけのものだと思うのです。
これからの未来、子どもが手に取るものだけでも、シンプルな材料で作られていて欲しいと思います。こだわり店の店主のように、多くのものを生み出す企業が本気になってモノづくりに取り組めば、一気に日本からアレルギーの子供たちが減るような気がします。
最近「魔の二歳児」が再上陸した息子。14kgの重さと強い自我の感情に負けそうになるけれど、自然の食べものからエネルギーとパワーを親子共々たくさんいただいてこの時期を元気に乗り越えたいと思います。
Terrible Twos,
Horrible Threes,
Wonderful Fours
まずは、すばらしき4歳まで
一日一日、一歩一歩。

乗り越える力
2017.04.30

乗り越える力

新学期がはじまり、今日で四月も終わり。新しい学年、学校、職場…、やさしい春の陽射しに反していろんなハードルが次から次へとやってくる意外とハードな季節。慣れ親しんだ環境下にいるのが一番楽だけど、そこには後退があっても前進はないから、人は新たな場所に進んで、否応無しに自分自身を磨くのだと思います。
新たな環境には、思いがけないことが起こったり、予期せぬことがあって悩みが生じることもしばしば。2歳になる息子は人見知りタイプではありませんが、保育園から帰ると、急に泣き出したり、引っ付いて抱っこのまま下りなかったり、小さい心を痛めんだなぁと切なくなることもあります。
でも、ストレスから打ち勝つことはこれから生きて行く上でとても大事。打ち勝つ事を知ると、そうだ あのとき乗り越えられたと、自分の大きな力になるからです。
同じ物事が起こったとき、それを嫌だと思うか思わないか、ストレスと受け止めるか受け止めないかで、夢や目標に向かう時間が変わる。
人に邪魔されたり嫌なことを聞いたとき、それで落ち込んでストップするか、関係なく前進することができるかで、目標に向かって進んでいける力が大きく異なるのだと思います。
父の仕事の都合で、学生時代、転校を繰り返した私。ブレザーの学校に制服が間に合わずセーラー服で行った日は辛くて、今でも鮮明に覚えています。社会人一年生の時も、慣れない仕事に一人暮らし残業の日々で身体を壊し円形脱毛症になった経験も。今となれば笑い話ですが、その当時は苦しみました。でもその苦い経験が、今の私を支えているような気がしています。
とはいえ、本当に大変な時、泣きたくなる時は思い切り泣いて ゆったりした自分の時間を持つこともまた大事。人間、耐えるだけでは生きられません。笑わないと! 今年もケセラセラで。 頑張る人に幸あれ!

振り返る
2017.03.14

自己暗示

3月中旬。 確定申告を終え、今こころ切り替えの時期。日々を過ごす中で、自分の存在を客観視しながら、普段当たり前にしている習慣(潜在意識で動いているもの)や行動を 改めて見直しています。そうすると忙しい時期には見えなかったことがよく見えて、落ち込むことも多いのですが
私の中で「過去の自分の行動を振り返る」ことはとても大事。
悪い結果になったことは、何故そうなったかを改めて考え、深く反省してそれを認める。そして、二度と同じ過ちをしないように、自分の辞書に書き留めます。悪くもなく良くもないことは、改めて継続するべきか辞めるべきかを自分に問う。そうした中で、これから進むべきことを考える。

たとえば、自分が行動することで、靴下を製作くださる会社の方、家族に迷惑をかけていては意味が無く、お客様や置いて下さっているお店に喜んでいただけなければ何をしているかわからない。だから頭を一旦0にして、自問自答するのです。これからする行動は正しいか、その行動は筋が通っているかを…。そして「間違っていない、大丈夫」と判断したら、もう振り返らず、そこから先は、思い切って行動することに集中する。
今、奈良の工場には、春夏に出す商品を、和歌山の工場には、秋冬の新商品に向けて動いて頂いています。長野の工場は、秋冬の製作に向けて近日打ち合わせ予定。 そして靴下とは別に、新たなことにもトライしていきたいと思っています。
もうすぐ新学期。プライベートでは、娘が進級、下の息子は新たな保育園へ。
未知なところには不安がつきもの。でも決めた事柄には、暗示をかけて進むしかありません。
「上手くいく」
「絶対うまくいく」と。

tobutori
2017.01.11

tobutori

新たな年となりました。2017年も、困難なことや沢山の壁に負けること無く、一歩一歩、自分らしさを忘れずに羽ばたいていきたい。現状維持は楽だけど、せっかくこの世に生まれてきたのだからチャレンジを恐れず、今年も行動していきたい。グリュックントグーテでは、心地よいレッグウェア、そして他のアイテムも少しづつ増やしたい。でも何よりも感謝の気持ちを忘れずに、独りよがりにならないように私を取り巻く人と笑顔を分かち合えるようにまあるい心を持ち続けたいと思います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

diary「120%」
2016.12.26

考え方を変える。

そんなに力を出したいわけでもないけれど、それだけ力を出さないと終わらないから、自分の中の120%の力を出す。 冬場がシーズンなので、11月から12月にかけては毎年 全力投球の日々。忙しくなると私の場合、仕事ではなく、そこに入り込む育児と家事に追われてしまいます。自分の子どもと言えど当たり前に全く違う一人の人間なので、考え方の相違より反発が出て、思うようにいかないことがほとんど。それを覚悟で仕事をしているのですが、疲れているとそれを受け入れる余裕がなく、忙しさを理由に言動が刺々しくなってしまう。自分でもそれに気づいて反省するのですが、子どもに悪影響を与えてしまいそうで恐ろしいのです。こんな時は、ひと呼吸して、考え方を変えてみなくては。120%を出せるというは「あの時もう少し頑張っていればよかった」という後悔がないということ。そして、まわりの先輩方が教えてくださるように、子どもが小さく忙しいときが一番いい時だということ。自分自身のケアもできず、睡眠不足のこの今が最高だなんて!と思ってしまいますが、こんなに親に愛情を求めてきてくれるのは、今しかないですよね。
忙しさから抜け出せず、感謝する心を置きざりにしてしまったのだと思います。それにしても捉え方を変えると、180度見える世界が変わる。考え方って本当に大事ですね。来年まであと少し。残りの数日も一日一日大切に過ごしていきたいと思います。

色
2016.10.04

color

最近、色を確認するためによく糸見本帳を広げています。昔から色好きな私は「色を決める」事に対して得意意識が強かったのですが、パッケージ等、紙上の色を決める時は「コレだ」と直感が働くのに対して糸の色となると考えすぎてうまくは運ばず、色の背景を考えたり、想像したり… 実にじっくりと慎重に色決めをしています。色のもつ力は偉大なので、この時間は必要な時間でありますが 決めたはずの色が、別の色になり、巡り巡ってまた決めた色に戻るということも。靴下は主役より脇役の立場が多いので、一般的に明るい色は使いにくいなど服と違って少し特殊。仕事で履かれる方も多いためベーシック色は基本ですが、名脇役になれる普段使わない色も魅力的で、どうしてもそこから抜け出せず、どれがいいか考えすぎて、くるくる回り続けているのかもしれません。
どんな色でも履いて下さる方が上手に着こなして頂けるので自由な気持ちで色選びすればいいのかもしれませんが、柔軟な頭を持ち常に色が発するイメージを新たな思考で感じ取って自分なりのルールを更新していければと思っています。それにしても色の世界は実に深く、永遠に見飽きることない不思議な世界。年老いてもこうしてずっと色と向き合って生きていけたら幸せです。もうすぐ、指定した色が靴下となって工場から届きます。たくさんの方に渡って履き心地とともに色も楽しんで頂けますように。

着地点
2016.09.07

着地点

グリュックントグーテの名前を変えると公言してからもうすぐ3ヶ月が経とうとしています。ずっと頭の中にあることを行動に移さなければ前進できない気がして、覚えて頂きやすい素敵な響きの名がどこかにあるような気がして、 これまでいつ何時も頭において名前と向き合ってきました。
でも、真正面から向き合い、たどり着いた場所には変わらず「Glück und Gute」の名がありました。候補として色々な名前が出ましたが、いずれも心の中で、何か違う何かわからない違和感のようなものを感じてしまうのです。今でもまだ別の何かがあるかもしれないと思う気持ちはありますが、
きっと、この靴下が生まれた時から、知らず知らずのうちに呪文のように唱えていた「グリュックントグーテ」が、身体にしみ込んでしまっているのかもしれません。こうなると自分の中にしまっておくべき事柄だったかもしれない、表に出して、多くの方を惑わせてしまったかもしれないと反省しています。でもこうして真剣に向き合える機会を頂けたことをとても感謝しています。

今回、年配の方にも覚えて頂ける名前の発掘はできませんでしたが、お客様からのアドバイスで、Glück und Gute グリュックント グーテに略称もしくは通称をつけることを思い立ちました。とはいえ、 グリュックントグーテの略「ググ」、「グーグ」、「グーテ」…  未だ決めかねていますが。これからも引き続き、身体が元気になるもの、心が豊かになるもの、日用として使えるものをひとつひとつご提案できたらと思っています。まだまだ暑い日が続いていますが、空には秋の雲。本当の秋もすぐそこまで来ています。2016年の秋冬に備えあたたかい厚めの靴下を…。引き続き どうぞ宜しくお願い致します。

南の国
2016.08.31

南の国

ニュージーランドへ行ってきました。8歳の娘と1歳の息子を連れての初めての海外。NZは冬、体調は崩さないだろうか、10時間の飛行機の中でじっとしてられるだろうか、いろんな不安を抱きながらの出発となりましたが、それまで雨続きだったオークランドの天気が好転しぽかぽかの日射しにあたたかく出迎えられました。車窓からは見渡す限り大地が広がり、のびのびと草を食べる牛や馬、羊たち。そして驚いたのが、殆どのニワトリは「free range」で育てられていること。卵の値段は日本の倍以上(500円〜1000円ほど)しますが、日本の養鶏場のイメージとは異なり、小屋と広大な庭を自由に行き来し、本当にのびのびと走り回って水を飲み、好きなところに卵を産み落とす。
ニュージーランドの動物たちは、皆ストレスを感じる事無く動物らしい生活の中で生きている。そして、その命をいただく私たち人間も、安全と美味しさという恩恵を頂く。それがとても印象的でした。 日頃、買い物に行く時に不安でついつい原材料表示を見てしまう私。コンドミニアムに宿泊し自炊生活をしていたので、NZでもingredientをチェックして食材を購入していたのですが、そういう必要ない位、食の安全という豊かさがありました。
夜になると月の光の強さに驚きます。日本の月の何倍もの強い力で輝く月。本当に吸い込まれそうになります。また反対に日中は太陽の光が強すぎる。南極のオゾンホールが近いため、紫外線量は日本の8倍。日焼け止めとサングラスは必須です。ずっと晴れ続きだったのですが、残り2日になった日に今度は急に雨が降り始めました。その雨は帰る日まで丸2日止まる事無くずーっと降り続け、止む気配がない…全てにおいて自然の、地球の力を強く感じました。
実はニュージーランドは、ずっと行きたかった国ではなく、呼び寄せられたように急に行く事になった国。だからこそ不思議な縁があるのかもしれないなぁと感じてしまいます。沢山の思い出とともに、しばしの休息を終え、また元の生活に。それにしても、こんな大きな旅をしたのは何年ぶりだろう。旅が癖になりそうです。