Diary

転換期
2018.05.02

move on

なかなかお伝えできずにいましたが、この夏5年ほど住んだ千葉を離れ、山梨に行くことになりました。人生、時に思ってもみない方向に行くものですね。我が家は関西に両家の実家があり、年に一度帰省するのですが、下の息子が生まれてからは 無理ないよう長距離の中間地点で一泊するのが常。
その中間地点が「山梨」だったというのが、そもそもの発端。そこに「自然の中で子どもを育てたい」という私個人的考えが重なって、急に” 移住 ”という二文字が生まれたのです。ビニルハウスや田んぼの畦道、れんげ畑は、子ども心に楽しくて、山並みが見える風景が大好きでした。自然は厳しさもありますが、豊かさもある。山々の見える風景で育てたい、前々からそんな思いを持っていました。

さらにもうひとつの理由が そう、この団地住まい。グリュックントグーテと息子が立て続けに誕生し、年を追うごとに家は手狭となり、娘の部屋は倉庫同然、リビングのテーブルで 娘は宿題を、家族は食事を、私は仕事をする始末。長女が高学年になり、さすがにこの状況を続けるのは厳しいと感じていました。

私たち夫婦のこれまでの人生は、紆余曲折し、何に向かっているのかいつも手探り状態でした。時に若さゆえに無理やり方向転換しようとして何度挫折したことか。でも、そうした日々でたどり着いた法則(めいたもの)があります。
それは 進みたいという道を決めたとき、努力しても思うように進まない場合や長い年月がかかっても先の道が見えないとき、その道は自分が行くべき道でない。逆に、少し働きがけで、まわりから導かれてどんどん進むとき、それこそが行くべき道なのだ というもの。

今回の山梨行きは、紛れもなく後者。機が熟したこともあってか、その導きの力が凄まじい。あっという間に設計図ができ、着工がスタート。靴下の繁忙期と重なって、家のことを考える時間を持てなかったのですがそれでも先に先にどんどん進んでいくのです。「このスピードは何?」だから今回山梨に行くということに疑問を持つどころかここに行くべきという断定に近いものを感じています。とはいえ、幼い子ども二人を引き連れて、土地勘のない寒冷地に住む、この人生の大きな分岐点に心配事は尽きませんが、とにかく今は、前だけを見て進もうと思っています。

だって人生一度きり。とにかく動かねば進まない。
そう、それだけです。